「半径5メートルの幸福」。
あなたはこの言葉から何を想起するだろう。
ポジティブなイメージだろうか。それともネガティブなイメージだろうか。
ある人はSDGsの縮図であるという。
自分も他の人も同時に喜ばせることができることをどんどんやっていくことが大事であり、半径5m以内の人を幸せにするということ、自分以外の身近な誰かに思いやりを持つということが正にSDGsであると。
ある人は、全社員が半径5メートルを幸せにする、そんな会社にしていきたいという。
「半径5メートルの幸せ」という書籍やオンラインサロンというのもあるようである。
最近の若者はスマホを24時間肌身離さず持っているという。
トイレやお風呂にも携帯し、無いと不安にかられるそうだ。
これもひとつの「半径5メートルの幸福」なのかもしれない。
私はこの言葉を小説で目にした。
それは「R帝国(中村文則)」。
「人々が欲しいのは、真実ではなく半径5メートルの幸福なのだ」
決してポジティブな意味ではない。
「幸福」と「正しさ」は同じベクトルではなく、むしろ相反するものだというのが本書のメッセージである。
どういうことか。
我々の国で安価に物が手に入るのは、途上国で倫理に反した労働を強いられる人間が存在するからだ。
自分達の消費欲求のためなら、遠くの貧しい国の人々が犠牲になればいいのか?
日本が近隣諸国から軍事的に守られているのは、沖縄に米軍基地があるからだ。
では、沖縄の基地が自分の町に誘致されたらどうだろう。
沖縄に残せと言わないだろうか。
原発にしても同じだ。
こんなことを考えると、自分の幸福の追求には罪悪感が伴う、不都合な真実を目の当たりにすることになる。
見たくない事実から目を背け、犠牲者を無視し、ただ自分の身近な幸福だけを実感していたい。
だからこそ人間は、真実ではなく、半径5メートルの幸福だけを考えて生きていたいと思うのではないか。
これがもう一つの「半径5メートルの幸福」だ。
さらに小説では「幸福は閉鎖」であると言っている。
「幸福とは、世界に溢れる飢えや貧困を無視し、運の良かった者達だけが享受できる閉鎖された空間である。」
自分は日本に生まれて運が良かったと素直に言えなくなる言葉だ。
そして極めつけが、
「お前達から真実を知らされた国民の大半は、無意識的にどう感じたと思う?〝余計なことをするな〟これだよ。」
例えば、ある国会議員が「国土面積の約0.6%しかない沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約70%が集中しているのは軍事的にも脆弱だ。本土に移設するべきだ。」と言ったとしよう。
ほとんどの人は"余計なことをするな"、"寝た子を起こすな"ではないだろうか。
人間は助け合う動物でありながら、エゴのためには他者を見捨てるという相反する心を常に持ち合わせている、複雑な動物だ。
同じ言葉でも、異なる文脈で捉えることで見え方が変わり、それぞれが持つ視点によって解釈が分かれる。
まるでロールシャッハテストで各々見え方が一様でないように。
最終的には、この言葉が何を象徴し、各々に何を問いかけているのか、考える余地があると思う。
あなたには何が見えますか?