「Workism(仕事主義)」とは、仕事を宗教的なアイデンティティに近いものとして扱うことを表現したデレク・トンプソン氏がつくった造語です。
仕事に給料のためだけでなく、コミュニティやアイデンティティ、人生の目的や意味を求めることを意味します。
パンデミックによる大規模な人員削減、空のオフィスビル、不明確な勤務規定、AIによって引き起こされるパニックなど、私たちは大きな変化の中でなんとか生き延びなければなりません。
仕事と私生活の境界線を再評価する中で、仕事に対する不安が増大しています。
経営陣が「効率」を強調することでこれらの課題に対処しようとしているため、仕事に対する不安はさらに高まっています。
仕事の重要性が増し、それに伴うアイデンティティの喪失が浮き彫りになっています。
LinkedInのプロフィールや履歴書の更新はかつてないほど頻繁になってきています。
これは、将来の仕事の不確実性に対するオープンさが高まっていることを反映しており、より良いワークライフバランスの必要性を浮き彫りにしています。
仕事の将来に対する不確実性の高まりは、オープンなコミュニケーションを生み出していますが、誰も将来がどうなるかわからないため、人々が臨機応変に対応するのに苦労しています。
現在の職場には明確な指示や明確なビジョンが欠けており、すべてが不確実で流動的です。
マネージャーはリーダーとして予測不可能な将来に自信を持っているかもしれませんが、心の中では不安でいっぱいでしょう。
今一度、社会における仕事の役割を再考し、現在の課題の中で個人のニーズによりよく対応するために職場を再考することが求められています。
「Workism(仕事主義)」は、仕事のみに精神的な充実感を求め、人生の他の側面を無視する危険性があります。
この考え方は、パンデミック中に見られたような仕事に対する過度の期待や、人生の他の側面の軽視につながる可能性があります。
仕事は自己実現の手段として利用することが奨励されていますが、これはおそらく米国における組織化された宗教の衰退と、資本主義とプロテスタントの労働倫理の絡み合いに関連していると考えられます。
とは言っても、仕事と私生活の間に線を引くことは難しいですし、やりがいのある仕事に支配されないようにしながら、バランスのとれたアプローチを取ることが望ましいでしょう。
以前のブログ(パーパス経営)でも書きましたが、雇用主と従業員の関係は対等であるべきです。
仕事に対するより取引的な見方を促進し、雇用主と従業員の両方が期待を設定し、公正な報酬を求めるのが望ましい社会だと思います。
これによって、従業員が仕事を生活の手段として認識し、仕事と自己実現を切り離して考え、自分らしく働くその手段を再考する時代が来ているのではないかと思います。